ちょっと不穏な記事ですが、子供を持つ親として書かずなはいられなかったので投稿します。
「火垂るの墓」のような親を戦争で失くした子供たちって、たくさんいただろうと思います。
ほかの子供たちはどうしていたんだろう、と気になって夜な夜な調べました。
戦争で親を失くした子供たち、いわゆる「戦争孤児」は
戦争が終わった後、たくさんの差別を受けていたのだそうです。
戦争で両親を失っただけでもひどい話なのに、
政府から負の遺産として歴史から隠蔽され、
世間はからは人間として扱われず、野良犬として差別されたのだそうです。
さらに、アメリカの軍が孤児のために一時的な収容所を作り、
逃げられないように裸にして水をかけ、檻に入れてゴミ扱いしたと。
自分の子供たちだったらと考えると恐ろしい。
もしも日本が戦争をしたら、またそうなるのではないか。
空襲により戦争孤児がうまれた
原爆は世界中に知られているけど、空襲は知られていません。
日本で空襲といえば、よく知られている東京大空襲があります。
ですが、空襲はその日だけでなく、何度も東京や日本のあちこちで起こり、たくさんの人たちが亡くなりました。
学童疎開している間に、両親が空襲で焼け死に、
12万3500人の子供が戦争孤児になってしまったそうです。
学童疎開は大都市に住む小学3年生から6年生までの子供たちが対象であったため、
戦争孤児は、10歳前後の子供が多かったらしいです。
それよりも小さい子供たちは、節子のように死んでしまったのかもしれません。
赤ちゃんは、親と一緒に空襲で亡くなっているようです。
刈り込み
町中をうろつく戦争孤児が邪魔だと、アメリカ軍に一掃される「刈り込み」のがあったそうです。
トラックなどで連れていかれ、逃げられないように、裸にして水をかけ、檻に入れられたというのです。
どんなに寒い冬でもです。
ゴミ扱いであったと言います。
戦争孤児は、浮浪児と呼ばれた
それでも必死に生き残った孤児になった子供達を世間は、
「親なし子」などと言って、差別します。
学校に行くにも地域の大人から反対にあい、子供たちからもいじめにあい、
それは社会に出ても続く。
結婚も反対される。
かわいそうなことなのに、なぜ差別されたのでしょう?
食べる物がないので、人から盗むしかなかったからかもしれない。
盗めば大人が死ぬほど殴ったそうです。
餓死して死ぬ子もいたほどだから、殴られて殺されても罰せられなかったのかもしれない。
親戚に奴隷にされた子、人買いに売られた子もいる。
腐った食べ物を食べて死んだ子、寒さで死んだ子、飢えで死んだ子、自ら死を選ぶ子もいたそうです。
国が勝手に始めた戦争です。
その被害が、戦後も長らく続いたというのが腹立だしい。
おそらく、復興に向けて、日本が高度成長期と言って活気づいていた最中にも、
差別を受けていたことでしょう。
日本の政府は、孤児を集めた施設を作ると言っていたそうですが、そんな施設はどこにも存在しなかった。
それどころか、戦争孤児のことをなかったことにしようとしていると言います。
だからなのか、毎年8月、原爆の被害者や大和やら飢餓の話はよく聞くけれど、
戦争孤児の話は聞かない。
子供たちを見捨てた日本がとても恐ろしいです。
今でも子供たちを大切にしているとは言えない社会。
絶対に繰り返さないように、子供たちに語り継がなければいけないと思います。
参考